受け取るということ。




統合失調症と診断された方が、どのように世界を観て、感じていたかを
ご自身で書かれた本です。
(統合失調感情障害が適切な病名だそうです)

ありとあらゆる出来事が、自分に送られたメッセージだと感じること。

テレビが新聞が、道を往く全ての人々が、様々なサインを送り続けていると
感じる世界で生きてゆくこと。

全てが自分を祝福し、自分を熱望し、
「この世界は僕のためにある」という実感。
著者は、その世界を「目に見えるもの、耳に聴こえるもの、
周りのすべてのものが、どこかよそよそしく、不自然なのだ」と書いている。
「僕のためにある」はずの世界に違和感を感じることも不思議です。

そして、急に全ての人が自分を殺そうと企んでいると思って、
怖くて怖くて仕方が無くなり、「殺さないで下さい」と泣きながら懇願する。

それは妄想であり、幻聴であり、幻覚だと一蹴することは簡単だけど、
本人には現実としか思えないのだとして、
その世界で生きて行くことは、どんなに大変なのだろう。

私がこの本を読んで、切なく感じたのは、
著者の考えが、どんなときでも一貫していて、
「この世界をより良くするためには」だということです。

全人類が幸せになるには、どうすれば良いのかを
深く、深く真剣に考えているのです。

私は、こんなにも世界のことを考えたことがあっただろうか、
この人が精神障害という一言で片付けられて、
私を含む、そんなことを考えずにのほほんと生きている人が
健常者という、いわゆる正常だという認識でいいのだろうかと
考えてしまうのです。

読み進めるほどに、妄想によるものだとしても、
世界救済という軸がブレないということは、著者の優しく、真面目で
一生懸命な言葉は、病気を越えて、彼の本質なのだろうと思うのです。


ここまで劇的ではなくても、
私の見ている世界と、誰かが見ている世界は
違うものではないかなと感じることはあります。

一つの事実は事実で、同じものであったとしても
受け取り方でその形が変わってくることは多い気がします。

好きな人や友だちに向けての記事はあっても、
私のブログは、ほとんど自分のことばかりを書いているものです。

以前、違う場所に書いていたブログに、
「私へのメッセージですよね」
「すみません、反省します」とメッセージを頂きました。

もちろん、その方に向けて書いたものでは無いし、
ましてや反省して頂くようなことは何もありません。

お返事をしようと思っても、リンク先が無かったので
出来ませんでした。
私の言葉の中の何を受け取って下さったのだろう?

私自身は、他人が自分に関心があると思うことに否定的なので
直接書いて下さっているもの以外
「私のことでは…」と感じることは無いのです。

好きな人が書いているブログでさえ、私のことじゃないかも?と
良く思います。
本当のところ、今でもはっきり自分のことだと思えないことも多く
つい感想がうやむやで一般的なものになってしまいます。

過剰に否定的なのも問題ですよね。



受け取ることも受け取らないことも、
どちらも大切で、そのバランスなんだと思うけれど、
そのバランスを取る行為だって、自分の中で行われているのだから
どこに正解があるのか、自分は正常だって断言出来る人は
居ないと思うのです。


私は全く自信が無いです。


著者が問いかけた問題
「みんな、この一線を越えてしまったら帰って来られなくなる、という
 正気と狂気の境で踏みとどまった経験があるのかないのか」


私は壊れてしまうと思ったときに、心の中に空洞を作って、
感じたこと、受け取ったことを投げ込み、無理矢理埋めて
無かったことにして、考えることを止めました。

なので、この問題には答えられません。
逃げてしまったから。

これからは「受け取ること」が私の課題だと思います。

この頼りない脳みそで、自分なりに受けとっていこうと思います。


ボクには世界がこう見えていた―統合失調症闘病記 (新潮文庫)
新潮社
2011-10-28
小林 和彦

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